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真仏報恩塔を訪ねて

少し前の話になりますが、3月下旬に埼玉県蓮田市にある【真仏報恩塔】にお参りしてきました。
全長は約4m、一般的には板石塔婆と言われ、埼玉県下で2番目に大きい板碑になります。

さて、真仏報恩塔とは何か?
真宗高田派の僧侶であっても、この塔(板碑)の存在は知らない人が多いのではないかと思いますが、親鸞聖人の高弟であり専修寺2世となられた真仏上人(しんぶつしょうにん)の報恩塔と言えば真宗各派の御門徒さんにも興味を持って頂けるのではないでしょうか?

【真仏報恩塔】という名称は本寺専修寺のホームページの説明より引用しましたが、檀信徒様向けに説明すると、「真仏上人から受けたの恩に報いるための仏事としての塔(板碑)」です。

報恩とは仏教用語なのですが、以下の3つの恩から成り立ちます

①知恩(ちおん)・・自分が支えられていることの気付き
②感恩(かんおん)・・その気付きから感謝の気持ちが出てくる
③報恩(ほうおん)・・その感謝の気持ちから恩に報いる

つまり、知恩→感恩→報恩と繋がっていきます。
皆様もご存じの真宗各派の大切な仏事である「報恩講」も親鸞聖人から受けた恩に報いるための講(集い、会)であるため報恩という言葉を使います。

話が逸れましたが、真仏報恩塔とはそのような意味で建てられたものと思われます。

しかし、この報恩塔のある蓮田市では板石塔婆【寅子石】として知られているのです。

真仏報恩塔と寅子石、果たしてどのような繋がりがあるのでしょうか?

真仏上人とは?

真仏上人は鎌倉時代に活躍された僧侶で、真宗高田派の始まりである栃木県真岡市にある本寺専修寺の第2世であり、茨城県結城市にある称名寺の開基であり、寺伝では当山の開基でもあります。浄土真宗を開いた親鸞聖人(しんらんしょうにん)の直弟子の中でも後に専修寺第2世を任されるほどの高弟であった真仏上人は、元々は現在の茨城県桜川市真壁町椎尾地区の城主の長男で、椎尾弥三郎春時と名乗りました。父の死後、17歳で家督を継いだ春時でしたが、親鸞聖人の教えを受けるため翌年に舎弟の真壁四郎国綱に譲り、嘉禄元年(1225年)11月4日に親鸞聖人の弟子となりました。

報恩塔は誰が建てた?

延慶4年(1311年)に真仏上人の門弟であった唯願が建てたとされています。

報恩塔の南無阿弥陀仏の名号の下に延慶4年3月8日の刻銘。
右側には「報恩真佛法師」、左側には「大発主釈唯願」と刻銘があります。
真仏上人は正嘉2年(1258年)3月8日に50歳で亡くなっておりますので、54回忌に建てられた報恩塔となります。53年後となると中途半端の年数ですが、前年(1310年)7月に親鸞聖人の門弟であり、専修寺第3世でもあった顕智上人(けんちしょうにん)が亡くなったとされていますから、タイミング的には意味があるのかも知れません。
板碑裏側には「銭已上佰五十貫」とあり、建立に要した金額が彫られています。
当時からすると莫大な金額だそうです。

専修寺と報恩塔との関係

親鸞聖人帰洛後は真仏上人が専修寺第2世として関東の門弟及び檀信徒の御教外に取り組まれていました。

真仏上人が布教活動の拠点としていた下野国(現在の栃木県真岡市高田)の専修寺から武蔵国(現在の埼玉県蓮田市)までは約70kmあります。今では車や電車がありますが、当時は自らの脚で鬼怒川・利根川を越えて武蔵国まで活動を広げていた訳です。

現在、本寺専修寺では毎年11月15日、16日の報恩講(親鸞聖人の命日法要)の際、御影堂(みえいどう)にこの報恩塔の拓本の掛け軸が飾られています。

寅子石の伝説

一方、報恩塔のある埼玉県蓮田市では「寅子石」(とらこいし)として悲しい伝説があり、同市内に住む友人の話では小学校の授業の中でも取り扱われるほど地元では有名なお話しだそうです。
伝説については色々と取り上げられており、蓮田市役所の紹介ページを下に載せておきます。

他にもブログ等で紹介されているものもありますので、ご興味ありましたら検索してみてください。

個人的に気になったのはこの伝説に関わった若者たちが出家し、供養塔の近くにそれぞれの名前を付けた寺を建て、寅子の冥福を祈ったとの事。
こちらのお話に関しては天台宗寺院の慶福寺様のホームページに紹介されていました。

※令和6年3月追記 リンク先のページが無くなっていました

こちらで紹介されている五ヶ寺と真仏上人の供養塔を建てた唯願との繋がりまでは分かりませんでしたが、何かのご縁で知る事が出来ればと思います。

現在の寅子石について

現在の真仏報恩塔(寅子石)のある場所は地区の共同墓地となっており、その中に一際目立つ報恩塔が建っています。
周りは田んぼに囲まれており、離れた場所からでも報恩塔を確認することが出来ます。
慶福寺様のホームページからの情報では毎年3月8日の寅子の命日に地元の人たちによって供養祭が執り行われているそうです。

寅子の命日と真仏上人の命日が同じ3月8日というのが興味深いですね。

最後に

今回訪れた真仏報恩塔がある埼玉県蓮田市ですが、実は私(副住職)がお寺に入る前に十年ほど住んでいた土地でもあります。当時、寅子石の話は何かの資料で読んだ事はあったのですが、まさかこれほど近くに建っていて、しかも当山開基である真仏上人の報恩塔であった事までは知りませんでした。本寺専修寺の拓本の掛け軸を見て、いつかお参りに伺いたいと思い続けて十数年、やっと念願が叶いました。

残念ながら真仏上人の報恩塔を建てた唯願と寅子の伝説との繋がりまでは分かりませんでしたが、700年以上もこの塔を守って頂いた地元の方々には感謝しかありません。

檀信徒の皆様におかれましても、現地の報恩塔または本寺専修寺の報恩講にて掛け軸をご覧になって頂きたいと思います。
合掌

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